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10月5日 月曜日
10月4日(日)の毎日新聞 女性読者投稿欄「女の気持ち」を転記します。
*****
小春日和
今が人生の小春日和なのだろうか、この頃しきりに思う。
40代半ばで乳ガンが見つかり、両方の乳房を失った。
辛い経験だったからこそ、その後の10年を興奮状態で駆け抜けた。
食べるための原稿を書く一方で、「いつ再発して死ぬかもしれない。
今、書いておかなければ」という思いに駆られて本も何冊か書きあげた。
そして10年。私はまだ50代の半ばだったのに、横になっては
「老いる」ということはこういうこなのか、こうして死んでいくのか、
などと感じ、海の底から海面を眺めているような気分で過ごす時間が
増えて言った。
医師には軽度のうつ病と診断され、「疲れているから頭を
休めるように」と言われた。はて、どうしたものかと思っていた時
「がん克服日米合同富士登山」という新聞記事を目にした。
頭がダメなら体を動かせばいいんじゃないか。
そう思ってすぐに申し込んだ。
富士登山の前に1年間の訓練登山が合った。初めは黙ってリーダーの
後をついて行くだけだったが、富士山に上れた頃には、少しずつ
周りの景色も見えるようになっていた。あれから10年になる。
今もたくさんの仲間に助けられて山登りは続けている。
ここ1、2年は気がつくと穏やかな気分で鼻歌などを歌いながら暮らしている。
小春日和、それは確実にやってくる厳しい冬を予感しながら、
ふと息をつけるひと時なのではないかと感じている。
*****
昨日の今日でのタイミングでのこの記事と
本日掲載のアグネス・チャンさんのガンを含めた闘病の記事と
私の心に猛烈な勢いで沁み込んだ。
私もまずは手術を乗り越えよう。
そして、更年期障害を戦おう。
再発の恐怖に怯えないように 心を強くしよう。
その暁に再び来るであろう厳しい冬の寒さから
少しでも自己防衛できるように頑張ろう。
この記事の 何が一番励みになったかというと
ガンを患っても長い時間ずっと頑張っていらっしゃるということ。
実は私、がんを患って10年経って 再発しなかった方に会ったことが無いのです。
だから、チラッと読み始めた子宮ガン患者の闘病記も怖くて読めず。
何度のガンをも乗り越えて現在活動頑張ってらっしゃる鳥越俊太郎さんの
闘病記なども読めません。
頑張ってもその先にまたガンが待っているのかなんで
弱虫な感情がふと頭に浮かんで怖いのです。
手術して抗癌剤や放射線治療してるけど やっぱり駄目だとか
何度も何度もガンに襲われるとか
今の私にはどうしても受け入れられないのです。
そういう方の頑張りを見習わなくちゃと思うものの
再発や治療の苦しみを見たり聞いたりが 今の私にはとっても辛いのです。
正直言ってしまえば 今の自分の前向きな気持ちは
必死の上に成り立っている。
怖い怖いとどこかで叫んでしまいたい。
でも、強がりだって 必死だって 前を向き続ければ
それが本当の姿になるのじゃないか!
ふぅぅ
それにしても
なんて弱虫なんだろう。。。
初期で見つけてもらえたガンなのに
よかった と思える気持より
転移と再発に怯えてしまったりする。
いいんだいいんだ
これが修行じゃないか~
少しずつ 気持ちを強くしていけばいいんだね。そうだね。
*****
小春日和
今が人生の小春日和なのだろうか、この頃しきりに思う。
40代半ばで乳ガンが見つかり、両方の乳房を失った。
辛い経験だったからこそ、その後の10年を興奮状態で駆け抜けた。
食べるための原稿を書く一方で、「いつ再発して死ぬかもしれない。
今、書いておかなければ」という思いに駆られて本も何冊か書きあげた。
そして10年。私はまだ50代の半ばだったのに、横になっては
「老いる」ということはこういうこなのか、こうして死んでいくのか、
などと感じ、海の底から海面を眺めているような気分で過ごす時間が
増えて言った。
医師には軽度のうつ病と診断され、「疲れているから頭を
休めるように」と言われた。はて、どうしたものかと思っていた時
「がん克服日米合同富士登山」という新聞記事を目にした。
頭がダメなら体を動かせばいいんじゃないか。
そう思ってすぐに申し込んだ。
富士登山の前に1年間の訓練登山が合った。初めは黙ってリーダーの
後をついて行くだけだったが、富士山に上れた頃には、少しずつ
周りの景色も見えるようになっていた。あれから10年になる。
今もたくさんの仲間に助けられて山登りは続けている。
ここ1、2年は気がつくと穏やかな気分で鼻歌などを歌いながら暮らしている。
小春日和、それは確実にやってくる厳しい冬を予感しながら、
ふと息をつけるひと時なのではないかと感じている。
*****
昨日の今日でのタイミングでのこの記事と
本日掲載のアグネス・チャンさんのガンを含めた闘病の記事と
私の心に猛烈な勢いで沁み込んだ。
私もまずは手術を乗り越えよう。
そして、更年期障害を戦おう。
再発の恐怖に怯えないように 心を強くしよう。
その暁に再び来るであろう厳しい冬の寒さから
少しでも自己防衛できるように頑張ろう。
この記事の 何が一番励みになったかというと
ガンを患っても長い時間ずっと頑張っていらっしゃるということ。
実は私、がんを患って10年経って 再発しなかった方に会ったことが無いのです。
だから、チラッと読み始めた子宮ガン患者の闘病記も怖くて読めず。
何度のガンをも乗り越えて現在活動頑張ってらっしゃる鳥越俊太郎さんの
闘病記なども読めません。
頑張ってもその先にまたガンが待っているのかなんで
弱虫な感情がふと頭に浮かんで怖いのです。
手術して抗癌剤や放射線治療してるけど やっぱり駄目だとか
何度も何度もガンに襲われるとか
今の私にはどうしても受け入れられないのです。
そういう方の頑張りを見習わなくちゃと思うものの
再発や治療の苦しみを見たり聞いたりが 今の私にはとっても辛いのです。
正直言ってしまえば 今の自分の前向きな気持ちは
必死の上に成り立っている。
怖い怖いとどこかで叫んでしまいたい。
でも、強がりだって 必死だって 前を向き続ければ
それが本当の姿になるのじゃないか!
ふぅぅ
それにしても
なんて弱虫なんだろう。。。
初期で見つけてもらえたガンなのに
よかった と思える気持より
転移と再発に怯えてしまったりする。
いいんだいいんだ
これが修行じゃないか~
少しずつ 気持ちを強くしていけばいいんだね。そうだね。
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10月3日 土曜日
天気の悪い日が続く。
天気に大きく影響される私の心持は このところ毎日最悪。
どうして
こう 気持ちが揺れるのだろう。
身体を動かしてみても 楽しい曲を聞いても
その時は よし! って力が湧くのに・・・
しょうがないんだ ストレスは当たり前なんだと
自分で自分を慰めてみても なぜか心もどんよりと曇ったまま。
だからと言って 暗い態度は絶対にしない。
昼間の私に会った人は こんな心の葛藤を絶対気がつかない。
だって、先日一緒に泣いてくれた叔母が 告知された後の私に
何回も会っていたけど 全然分からなかったと絶句してたからね。
メソメソと自分を落とし込みたくない。
それは絶対にイヤ!
そこまで負けたくない!
でも、この気持ちを どこでどう消化すればいいのだろう
誰かに吐きだしてみても 聞いてくれる優しい人に
ただただ黒い墨を吹き付けるだけで お互いに苦しみが増えるだけ
自分から モヤモヤを誰かに吐き出すなんて出来ない
そんな気持ちが強く働く。
誰にも言えない。
これまで「もし自分が苦しい病に罹ったら」と思ってみることは幾度かあった。
でも、本当に自分がその立場に置かれてみると
心の病みも闇も想像以上なものなのだな。
ご飯が砂を噛むよう な経験はしてきたけど
無理やり飲み込んだ御飯が戻ってきたり 目覚めに嘔吐したり
そんな事は初めての経験だ。
初期じゃないか!初期なんだからダイジョブなんだから!
癌を乗り越えて来た方々は
どう頑張ってきたのだろう。
と、がん闘病のブログを何軒か回って見た。
治療の苦しさを訴えられていて 読んでいて余計辛くなった。
やはり、早期でも卵巣を取ってしまうのだから更年期障害が酷く
癌は無くてもその戦いで辛いらしい。
今私は健康です。
そっちこっち痛いところはあるけれど、肉体的にも精神的にも健康です。
でも、手術を終えた時から 更年期障害とガン再発の恐怖との
長い長い戦いが始まるのです。
そんな事を 感じてしまったら もう、涙が止まらなくなってしまった。
これがガンに罹るってことなんだ。
もう、今の私の身体の状態に戻れることはないんだ。
張り詰めていた気持ちが一気に崩れた。
しょうがないので 我慢しないで泣くことにした。
涙は心の汗だよ。
沢山涙した翌日は久しぶりに太陽がちょこっと顔を出した。
ああ、久しぶりの太陽で 気分に力がつけられる。
それなのに どうして涙がまた出るの?
自分でも可笑しいけど 涙腺の線が抜けちゃった感じ。
母に見られてしまった。
母の前で 初めて号泣。
ごめんね 母よ、少し泣かせてください。
「悪い所を取ってしまって。そしたら皆で頑張って行けばいいんだよ。
辛い症状は先生と一緒に取っていけるから心配する事はないんだよ。
一人じゃないんだから 大丈夫だよ」
と背中をさすってもらいました。
ごめんね母よ、そして ありがとう 母よ。
2度目のY教授の診察後 初期であるということが確認でき
いくらか気分が楽になったらしい母ではあるが
やっぱり 精神も身体も病んでしまっている。
母自身で己を一生懸命奮い立たせているのではあるが
どうしてもそれが出来なくて また、出来ない自分を追い込んでいる。
そんな母にしっかりしてとは可愛そうで言えず
頑張れ頑張れは鬱を招きそうで絶対言えない。
出来る限り 母の気分を聞いてあげて 少しでもリラックスできる時間が
増えればいいと 私にはそれしか出来ない。
母が頼りない分 自分がしっかりしなくちゃならないと
奮い立つことが出来ているのかもしれない。
天気に大きく影響される私の心持は このところ毎日最悪。
どうして
こう 気持ちが揺れるのだろう。
身体を動かしてみても 楽しい曲を聞いても
その時は よし! って力が湧くのに・・・
しょうがないんだ ストレスは当たり前なんだと
自分で自分を慰めてみても なぜか心もどんよりと曇ったまま。
だからと言って 暗い態度は絶対にしない。
昼間の私に会った人は こんな心の葛藤を絶対気がつかない。
だって、先日一緒に泣いてくれた叔母が 告知された後の私に
何回も会っていたけど 全然分からなかったと絶句してたからね。
メソメソと自分を落とし込みたくない。
それは絶対にイヤ!
そこまで負けたくない!
でも、この気持ちを どこでどう消化すればいいのだろう
誰かに吐きだしてみても 聞いてくれる優しい人に
ただただ黒い墨を吹き付けるだけで お互いに苦しみが増えるだけ
自分から モヤモヤを誰かに吐き出すなんて出来ない
そんな気持ちが強く働く。
誰にも言えない。
これまで「もし自分が苦しい病に罹ったら」と思ってみることは幾度かあった。
でも、本当に自分がその立場に置かれてみると
心の病みも闇も想像以上なものなのだな。
ご飯が砂を噛むよう な経験はしてきたけど
無理やり飲み込んだ御飯が戻ってきたり 目覚めに嘔吐したり
そんな事は初めての経験だ。
初期じゃないか!初期なんだからダイジョブなんだから!
癌を乗り越えて来た方々は
どう頑張ってきたのだろう。
と、がん闘病のブログを何軒か回って見た。
治療の苦しさを訴えられていて 読んでいて余計辛くなった。
やはり、早期でも卵巣を取ってしまうのだから更年期障害が酷く
癌は無くてもその戦いで辛いらしい。
今私は健康です。
そっちこっち痛いところはあるけれど、肉体的にも精神的にも健康です。
でも、手術を終えた時から 更年期障害とガン再発の恐怖との
長い長い戦いが始まるのです。
そんな事を 感じてしまったら もう、涙が止まらなくなってしまった。
これがガンに罹るってことなんだ。
もう、今の私の身体の状態に戻れることはないんだ。
張り詰めていた気持ちが一気に崩れた。
しょうがないので 我慢しないで泣くことにした。
涙は心の汗だよ。
沢山涙した翌日は久しぶりに太陽がちょこっと顔を出した。
ああ、久しぶりの太陽で 気分に力がつけられる。
それなのに どうして涙がまた出るの?
自分でも可笑しいけど 涙腺の線が抜けちゃった感じ。
母に見られてしまった。
母の前で 初めて号泣。
ごめんね 母よ、少し泣かせてください。
「悪い所を取ってしまって。そしたら皆で頑張って行けばいいんだよ。
辛い症状は先生と一緒に取っていけるから心配する事はないんだよ。
一人じゃないんだから 大丈夫だよ」
と背中をさすってもらいました。
ごめんね母よ、そして ありがとう 母よ。
2度目のY教授の診察後 初期であるということが確認でき
いくらか気分が楽になったらしい母ではあるが
やっぱり 精神も身体も病んでしまっている。
母自身で己を一生懸命奮い立たせているのではあるが
どうしてもそれが出来なくて また、出来ない自分を追い込んでいる。
そんな母にしっかりしてとは可愛そうで言えず
頑張れ頑張れは鬱を招きそうで絶対言えない。
出来る限り 母の気分を聞いてあげて 少しでもリラックスできる時間が
増えればいいと 私にはそれしか出来ない。
母が頼りない分 自分がしっかりしなくちゃならないと
奮い立つことが出来ているのかもしれない。
9月30日 水曜日
母方の叔父夫婦がすぐ近所にいる。
母が日中在宅の叔母に報告をしてきたので
話がよく伝わらず 無駄な心配をしていては申し訳ないと思い
私も叔母に話を聞いてもらいに出かけた。
「大丈夫?大丈夫?」って言ってくれて
誰にも不安を言えずにいて
不安で心配で怖くてって自分からは言えずにいたから
「大丈夫?そうやって強がらなくていいんだよ」
って、泣いてくれて
初めて人の前で泣いた。
そこでドツボにハマると落ちるので
泣いたと言っても ほんの少しだったけど
でも
凄く心が温かくなった。
自分から ゆれる気分をSOS出せなくて
だから 大丈夫?なんて気遣ってもらえて その優しさに泣けた。
ありがとう もう、大丈夫。
私は大好きな書道の先生にガンで逝かれてしまった。
私がまだ20代の頃で 先生の闘病の辛さも孤独も
受け止めてあげられなかった。
年を重ねるごとに先生の闘病の辛さと孤独の深さを分かるようになり
若かった自分を心底呪う。
今、あの時の先生と同じような年になり 同じような立場になった。
今の私だったら 今の私だったら
辛いと訴えられない気持ちを察してあげられたのに
孤独の深さも 病の辛さも もっとわかってあげられたのに
そう悔やまれて やっぱり健康で若かった自分を呪う。
あの時 応えてあげられなかった分
いま、頑張ろう。
あの時の先生と一緒になって 頑張ろう。
私の病気がガンで良かったと思う。
もしこれが
中度におきた脳卒中で 一生 要介護の寝たきりの生活になってしまったら・・・
私の介護を両親が負わなくてはならなかった。
逆縁より もっともっと地獄に両親を送り込むことになった。
過酷な介護
それが長くなればなるほど 地獄になる。
「生きていてくれるだけで」となんて 思えなくなるほどの地獄。
重度の状態の 長年の介護の過酷な現状は筆舌に尽くしがたい。
その地獄の中で闘っている人が沢山いる。
もちろん、癌と闘っている人も。
私の身に起きてることなんて ゴマ粒程度だね。
母が日中在宅の叔母に報告をしてきたので
話がよく伝わらず 無駄な心配をしていては申し訳ないと思い
私も叔母に話を聞いてもらいに出かけた。
「大丈夫?大丈夫?」って言ってくれて
誰にも不安を言えずにいて
不安で心配で怖くてって自分からは言えずにいたから
「大丈夫?そうやって強がらなくていいんだよ」
って、泣いてくれて
初めて人の前で泣いた。
そこでドツボにハマると落ちるので
泣いたと言っても ほんの少しだったけど
でも
凄く心が温かくなった。
自分から ゆれる気分をSOS出せなくて
だから 大丈夫?なんて気遣ってもらえて その優しさに泣けた。
ありがとう もう、大丈夫。
私は大好きな書道の先生にガンで逝かれてしまった。
私がまだ20代の頃で 先生の闘病の辛さも孤独も
受け止めてあげられなかった。
年を重ねるごとに先生の闘病の辛さと孤独の深さを分かるようになり
若かった自分を心底呪う。
今、あの時の先生と同じような年になり 同じような立場になった。
今の私だったら 今の私だったら
辛いと訴えられない気持ちを察してあげられたのに
孤独の深さも 病の辛さも もっとわかってあげられたのに
そう悔やまれて やっぱり健康で若かった自分を呪う。
あの時 応えてあげられなかった分
いま、頑張ろう。
あの時の先生と一緒になって 頑張ろう。
私の病気がガンで良かったと思う。
もしこれが
中度におきた脳卒中で 一生 要介護の寝たきりの生活になってしまったら・・・
私の介護を両親が負わなくてはならなかった。
逆縁より もっともっと地獄に両親を送り込むことになった。
過酷な介護
それが長くなればなるほど 地獄になる。
「生きていてくれるだけで」となんて 思えなくなるほどの地獄。
重度の状態の 長年の介護の過酷な現状は筆舌に尽くしがたい。
その地獄の中で闘っている人が沢山いる。
もちろん、癌と闘っている人も。
私の身に起きてることなんて ゴマ粒程度だね。
9月28日 月曜日
14日の組織検査と18日のMIR検査結果
再びY教授の診察。
組織検査の結果、間違いなく子宮体ガンであること。
状態は初期であることの報告を受けました。
体ガンのステージはもっと細かく分かれるのでしょうけど
確定出来るのは臓器を取り出して病理検査で詳しく調べた後だそうです。
そのために先生は「初期」という言葉なのだと思います。
子宮全摘は確定ですが 卵巣を取るかとらないか。
私が35才だったら 卵巣を取るかとらないか検討するのですが
10月に45才になる私、女性デーはあと5~6年はあるでしょうが
迷わずに今回、卵巣も全摘するそうです。
なぜならば 今の私のガンステージでも卵巣に転移していることがあり
それは摘出して検査してみないとわからないのだそうです。
更年期障害のリスクよりも 卵巣を残すリスクの方がはるかに大きいのですね。
そのほかの説明を受け 手術の予定日を検討。
リンパの状態を確かめるために10月6日はCT検査です。
一週間前から膀胱炎のような症状になっていました。
私は体調を崩すと トイレが非常に近くなります。
掛かり付けの泌尿器科で漢方薬を処方してくれそれでこのところ快調だったのにぃぃ
掛かり付けの泌尿器科は車で1時間かかり 忙しい毎日で通えず、
でも、パンツをあげると直ぐ強い尿意を模様し 辛くて我慢出来ず
最初にガン検診を受けた(H先生のいる)総合病院の泌尿器科へ行く。
「膀胱炎でもないし、残尿のもんだいもないです。
オシッコに少し行きたい時点で頻繁にトイレに行っていると
膀胱がオシッコを溜めておけないようになり 薬も効かなくなりますよ。
膀胱も筋トレと同じですから、オシッコは我慢してください」
と言われ、トイレが遠のく薬をもらって帰宅。
でも でもでも その薬、全く効かず ぐっすり眠れるまでの間
とにかくトイレに行きたくて行きたくて辛い!!!
お漏らししそうな感覚で一日中 いる訳で。。。辛い辛い!!!
この日、Y教授に「トイレが行きたくて止まらなくて・・・」
と一言漏らしたら
「ん!?」と言って 直ぐに済ませてある血液検査と尿検査の結果を見る。
「大丈夫、尿も綺麗で膀胱炎の所見もないし 血液も綺麗
あなたの頻尿は神経的なものだよ~
僕もね、講演の前はトイレに行きたくなるものだよ~」と言ってくださった。
そっか~ 大丈夫なはずだけど 膀胱にストレス行ってたのかぁ~
って、病院を出る頃には なんとトイレに行きたい症状が緩和されてしまったのでした!
「僕もね講演の前にはトイレに行きたくなるものだよ~」
って、そういう何気ない一言の心遣いをしてくださる先生に治療してもらえる
非常にありがたく、感謝。
大学の教授先生なんて高い所から患者を診て 俺に任せておけ、患者はだまっとれ~
てな風なのかと思っていたし、また、婦人科の先生で親切でやさしい先生なんて
先のH先生しか会ったことなかったので驚きと共に安心感に包まれた。
後日、掛かり付けの泌尿器科の病院で漢方をいただき効いている。
私のガンのステージは今のところ 手術の順番待ちをしていられるレベルなんですね。
少し、息がつけた感じ。
これで やっと友達にも報告が出来る。
誰にも言えずに 辛かった。
でも、言ってしまうことの方がもっと辛い気もする。
ハッピーな気持ちをお知らせなら 気持ちも明るくなるけど
こんなお知らせは 辛い気分を分けてしまうことになるから・・・
何でも話す唯一の同級生は
早くに父を亡くし 母を亡くし 一昨年たった一人の弟さんまで亡くしてしまっている。
だから、今私のことを話したら 未婚の彼女はたった一人で悲しくなるのだと
やっぱり すぐに言うことが出来なかった。
電話で報告したのだけれど やっぱり泣かれてしまったよ。
でも、日をおかず様子を見に来てくれて話を聞いてくれて
ほんとうに有難かった。
言葉の慰めでは無くて 差し出してくれる気持ちに
どれほど救われるか。ありがとう。
退院するまで誰にも言わずにいようと一度は決めたものの
やっぱり そこまでの強さもなく
バタアシさんに打ち明けさせてもらう。
若い彼女に第一弾の波(笑)を受け止めてもらった。
T大学繋がりというだけで
とんだとばっちりを受けさせてしまって ほんと、ごめんなさい。
そんでもって、ありがとうね。バタアシさん。
再びY教授の診察。
組織検査の結果、間違いなく子宮体ガンであること。
状態は初期であることの報告を受けました。
体ガンのステージはもっと細かく分かれるのでしょうけど
確定出来るのは臓器を取り出して病理検査で詳しく調べた後だそうです。
そのために先生は「初期」という言葉なのだと思います。
子宮全摘は確定ですが 卵巣を取るかとらないか。
私が35才だったら 卵巣を取るかとらないか検討するのですが
10月に45才になる私、女性デーはあと5~6年はあるでしょうが
迷わずに今回、卵巣も全摘するそうです。
なぜならば 今の私のガンステージでも卵巣に転移していることがあり
それは摘出して検査してみないとわからないのだそうです。
更年期障害のリスクよりも 卵巣を残すリスクの方がはるかに大きいのですね。
そのほかの説明を受け 手術の予定日を検討。
リンパの状態を確かめるために10月6日はCT検査です。
一週間前から膀胱炎のような症状になっていました。
私は体調を崩すと トイレが非常に近くなります。
掛かり付けの泌尿器科で漢方薬を処方してくれそれでこのところ快調だったのにぃぃ
掛かり付けの泌尿器科は車で1時間かかり 忙しい毎日で通えず、
でも、パンツをあげると直ぐ強い尿意を模様し 辛くて我慢出来ず
最初にガン検診を受けた(H先生のいる)総合病院の泌尿器科へ行く。
「膀胱炎でもないし、残尿のもんだいもないです。
オシッコに少し行きたい時点で頻繁にトイレに行っていると
膀胱がオシッコを溜めておけないようになり 薬も効かなくなりますよ。
膀胱も筋トレと同じですから、オシッコは我慢してください」
と言われ、トイレが遠のく薬をもらって帰宅。
でも でもでも その薬、全く効かず ぐっすり眠れるまでの間
とにかくトイレに行きたくて行きたくて辛い!!!
お漏らししそうな感覚で一日中 いる訳で。。。辛い辛い!!!
この日、Y教授に「トイレが行きたくて止まらなくて・・・」
と一言漏らしたら
「ん!?」と言って 直ぐに済ませてある血液検査と尿検査の結果を見る。
「大丈夫、尿も綺麗で膀胱炎の所見もないし 血液も綺麗
あなたの頻尿は神経的なものだよ~
僕もね、講演の前はトイレに行きたくなるものだよ~」と言ってくださった。
そっか~ 大丈夫なはずだけど 膀胱にストレス行ってたのかぁ~
って、病院を出る頃には なんとトイレに行きたい症状が緩和されてしまったのでした!
「僕もね講演の前にはトイレに行きたくなるものだよ~」
って、そういう何気ない一言の心遣いをしてくださる先生に治療してもらえる
非常にありがたく、感謝。
大学の教授先生なんて高い所から患者を診て 俺に任せておけ、患者はだまっとれ~
てな風なのかと思っていたし、また、婦人科の先生で親切でやさしい先生なんて
先のH先生しか会ったことなかったので驚きと共に安心感に包まれた。
後日、掛かり付けの泌尿器科の病院で漢方をいただき効いている。
私のガンのステージは今のところ 手術の順番待ちをしていられるレベルなんですね。
少し、息がつけた感じ。
これで やっと友達にも報告が出来る。
誰にも言えずに 辛かった。
でも、言ってしまうことの方がもっと辛い気もする。
ハッピーな気持ちをお知らせなら 気持ちも明るくなるけど
こんなお知らせは 辛い気分を分けてしまうことになるから・・・
何でも話す唯一の同級生は
早くに父を亡くし 母を亡くし 一昨年たった一人の弟さんまで亡くしてしまっている。
だから、今私のことを話したら 未婚の彼女はたった一人で悲しくなるのだと
やっぱり すぐに言うことが出来なかった。
電話で報告したのだけれど やっぱり泣かれてしまったよ。
でも、日をおかず様子を見に来てくれて話を聞いてくれて
ほんとうに有難かった。
言葉の慰めでは無くて 差し出してくれる気持ちに
どれほど救われるか。ありがとう。
退院するまで誰にも言わずにいようと一度は決めたものの
やっぱり そこまでの強さもなく
バタアシさんに打ち明けさせてもらう。
若い彼女に第一弾の波(笑)を受け止めてもらった。
T大学繋がりというだけで
とんだとばっちりを受けさせてしまって ほんと、ごめんなさい。
そんでもって、ありがとうね。バタアシさん。
9月18日 金曜日
MRI検査日
造影剤を入れてのMIR検査
この検査でガンの状態がおおよそ判断される。
私のガンよ イイ写り具合で撮影されてくれよ。
造影剤が注入される点滴針の入った腕を
普通は身体の脇に置くらしいのだが
「お腹の腕も大丈夫ね」とお腹の上に腕を置いた体勢で
ガンガンゴゴゴゴマシーンの中に
(MRIは工事現場の中に置かれたような激しい音が出る)
「では 造影剤を入れま~す。瞬間腕が冷たくなりま~す」
と言われた後 腕が冷たくなるではなく 瞬間、腕が破裂するような痛み。
なんだよぅぅ 冷たくじゃなくて痛いだようぅぅ~
ま、一瞬だったので ビクッとはしたが 撮影終了。
腕、冷たくならずに破裂するような痛みがありましたと報告したら
「えっ!? 造影剤は異常なく入って行ったことを確認していましたので
大丈夫ですが、腕の位置がやっぱり行けなかったようです」
ですって。 いくらかの腕の曲がり具合でも反応しちゃったのね。
検査結果は9月28日になる。
母が相当参ってしまっている。
精神的にも 胃にも・・・
私に出来る限りの心のケアーを試みているが
どうしたら 母の心配を軽減してあげられるのか・・・
今、ガンが消滅してしまうしか最善策はないのだけどね。
私はここに気持ちをとどめて苦しむよりも
前へ前へと進みたい。
不安と恐怖のパワーを 前進のためのパワーに変えて頑張って行きたい。
病は気からと言われるとおり 後ろ向きな心ではいけないパワーを呼び込んで
更に事態を悪化させるだけで よくないことが増える事はあっても好転はしない。
だから、母にも私の気持ちを汲んでくださいとお願いしました。
分かっているのです。
今までずっとお互いを見て来た親子だから。
お互いの気持ちは手に取るように。
でも、分かっていてもどうしてもどうしても 肝っ玉になれない母なのです。
私より 母の方が病人状態なんですよ。
不眠、胃痛から抜け出せずに毎日います。
私に励まされ、私に心配させまいと毎日必死です。
自分のことより、母の気持ちがどこまで続くかが心配です。
入院中の家事一切とラムネの一切を母一人でこなさねばならず
体力的にも問題ありの母ですので 猛烈不安であります。
造影剤を入れてのMIR検査
この検査でガンの状態がおおよそ判断される。
私のガンよ イイ写り具合で撮影されてくれよ。
造影剤が注入される点滴針の入った腕を
普通は身体の脇に置くらしいのだが
「お腹の腕も大丈夫ね」とお腹の上に腕を置いた体勢で
ガンガンゴゴゴゴマシーンの中に
(MRIは工事現場の中に置かれたような激しい音が出る)
「では 造影剤を入れま~す。瞬間腕が冷たくなりま~す」
と言われた後 腕が冷たくなるではなく 瞬間、腕が破裂するような痛み。
なんだよぅぅ 冷たくじゃなくて痛いだようぅぅ~
ま、一瞬だったので ビクッとはしたが 撮影終了。
腕、冷たくならずに破裂するような痛みがありましたと報告したら
「えっ!? 造影剤は異常なく入って行ったことを確認していましたので
大丈夫ですが、腕の位置がやっぱり行けなかったようです」
ですって。 いくらかの腕の曲がり具合でも反応しちゃったのね。
検査結果は9月28日になる。
母が相当参ってしまっている。
精神的にも 胃にも・・・
私に出来る限りの心のケアーを試みているが
どうしたら 母の心配を軽減してあげられるのか・・・
今、ガンが消滅してしまうしか最善策はないのだけどね。
私はここに気持ちをとどめて苦しむよりも
前へ前へと進みたい。
不安と恐怖のパワーを 前進のためのパワーに変えて頑張って行きたい。
病は気からと言われるとおり 後ろ向きな心ではいけないパワーを呼び込んで
更に事態を悪化させるだけで よくないことが増える事はあっても好転はしない。
だから、母にも私の気持ちを汲んでくださいとお願いしました。
分かっているのです。
今までずっとお互いを見て来た親子だから。
お互いの気持ちは手に取るように。
でも、分かっていてもどうしてもどうしても 肝っ玉になれない母なのです。
私より 母の方が病人状態なんですよ。
不眠、胃痛から抜け出せずに毎日います。
私に励まされ、私に心配させまいと毎日必死です。
自分のことより、母の気持ちがどこまで続くかが心配です。
入院中の家事一切とラムネの一切を母一人でこなさねばならず
体力的にも問題ありの母ですので 猛烈不安であります。
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☆ねこねこ荘・管理人
ようこそ いらっしゃいませ~♪ ブログ、引っ越しながら 16年目突入だニャ~
HN:
ココ
性別:
女性
自己紹介:
私の分身の様な相棒は
いなくなってしまったけど
私にはあいつのシッポが
はえてる!・・・つもり
(*≧m≦*)ププッ
いつも楽しい気持ちに
してくれた相棒の
シッポがいつも一緒
それって
ちょっと素敵でしょ♪
いなくなってしまったけど
私にはあいつのシッポが
はえてる!・・・つもり
(*≧m≦*)ププッ
いつも楽しい気持ちに
してくれた相棒の
シッポがいつも一緒
それって
ちょっと素敵でしょ♪
☆今のニャンコ、どんな寝姿?
☆コメントありがとう♪
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