2531*-55番地 ねこねこ荘
ひみつ基地にアパート建てました!全部屋、日当たり良好♪
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10月8日 木曜日
ぶれる
ガンを告知されて自分自身に受け入れることはしたのですよ。
「なぜ」「どうして」
そういう感情は全く持たなかった。
だって、そういう感情は 苦しみを増すだけだから。
変えられない、変わらない現実は受け入れるしかないのです。
そこから どう対処していくかのほうにエネルギーを向けることの方が大切。
そこに立ち止まって考えてしまう
後ろ向きになってしまう
そんな気持ちが一番怖い。
立ち止まってしまったら 恐怖の底なし沼に飲み込まれる。
だから 私は前だけを向いて行きたい。
前を向くことだけが 恐怖から逃げる一番の方法。
手術はとても憂鬱
だって、術後は寝返りが打てないから一晩中 腰の激痛との激闘だし
お腹だって痛むもの。
尿道カテーテルは私にとって極限トイレ我慢状態だし。
成人してからこんな事に耐えた手術をもう3回もしていて
だから またかと思うと憂鬱。
本当の自分のガンのレベルと状態が分かるのは
術後3~4週間経ってから。
どうか、どうかこのガンが何処にも飛んでいませんように。
どうか、どうか抗がん剤治療、放射線治療にならずにすみますように。
考えるな
考えるな考えるな。
振り付きで歌い踊って ピンクレディーになりきって見る。
失礼だけど 鼻の穴全開で歌う北島三郎さんを思い浮かべて函館の女を熱唱する。
声を出してハッハッハ~ッと作り笑いしてみる。
音楽聴いて歌って踊って。
幽体離脱してもう一人の自分を作る 自分で自分の辛いを受け止めて
諭して 慰めて 説いて 励まして 奮いたたせる
うん、これはいい方法だ
なんたって 自分の心を一番知っているのは自分自身なんだから!
笑う門には福来たる、本当だよね これ、本当だよ。
なんだっていい 可笑しい人になりきって やってみる
これが大切 これが前進の糧。
もともと 心配症で楽天的なんかではない私。
自分を高めるのに ほんとうに必死。
だけど 頑張らなくちゃ いられないんだよ。
頑張らなくちゃ飲み込まれちゃうんだよ。
負けたくない。
負けられない!
でもさ、
やっぱり不安なのさ
今は身体が元気だから 元気も出るけど
体調悪いと 気分を前向きに持っていくのは
とても辛いんだよね
聖人君子でもないから
きっと 家族に八つ当たりとかしちゃったりするのかな・・・
そんな自分がとっても怖い。
辛くなったら 少しずつでも 体を動かそう!
頑張って身体と心を外に出そう!
スポーツが出来るようになったら
まず第一に ゼロに戻ってしまった 大腿四頭筋と
腰痛防止の腹筋も手術前のレベルまで戻して
そうだ、エアロビクスも復活してみよう!
頑張れなくなったら
この日記を読み返そう。
ガンを告知されて自分自身に受け入れることはしたのですよ。
「なぜ」「どうして」
そういう感情は全く持たなかった。
だって、そういう感情は 苦しみを増すだけだから。
変えられない、変わらない現実は受け入れるしかないのです。
そこから どう対処していくかのほうにエネルギーを向けることの方が大切。
そこに立ち止まって考えてしまう
後ろ向きになってしまう
そんな気持ちが一番怖い。
立ち止まってしまったら 恐怖の底なし沼に飲み込まれる。
だから 私は前だけを向いて行きたい。
前を向くことだけが 恐怖から逃げる一番の方法。
手術はとても憂鬱
だって、術後は寝返りが打てないから一晩中 腰の激痛との激闘だし
お腹だって痛むもの。
尿道カテーテルは私にとって極限トイレ我慢状態だし。
成人してからこんな事に耐えた手術をもう3回もしていて
だから またかと思うと憂鬱。
本当の自分のガンのレベルと状態が分かるのは
術後3~4週間経ってから。
どうか、どうかこのガンが何処にも飛んでいませんように。
どうか、どうか抗がん剤治療、放射線治療にならずにすみますように。
考えるな
考えるな考えるな。
振り付きで歌い踊って ピンクレディーになりきって見る。
失礼だけど 鼻の穴全開で歌う北島三郎さんを思い浮かべて函館の女を熱唱する。
声を出してハッハッハ~ッと作り笑いしてみる。
音楽聴いて歌って踊って。
幽体離脱してもう一人の自分を作る 自分で自分の辛いを受け止めて
諭して 慰めて 説いて 励まして 奮いたたせる
うん、これはいい方法だ
なんたって 自分の心を一番知っているのは自分自身なんだから!
笑う門には福来たる、本当だよね これ、本当だよ。
なんだっていい 可笑しい人になりきって やってみる
これが大切 これが前進の糧。
もともと 心配症で楽天的なんかではない私。
自分を高めるのに ほんとうに必死。
だけど 頑張らなくちゃ いられないんだよ。
頑張らなくちゃ飲み込まれちゃうんだよ。
負けたくない。
負けられない!
でもさ、
やっぱり不安なのさ
今は身体が元気だから 元気も出るけど
体調悪いと 気分を前向きに持っていくのは
とても辛いんだよね
聖人君子でもないから
きっと 家族に八つ当たりとかしちゃったりするのかな・・・
そんな自分がとっても怖い。
辛くなったら 少しずつでも 体を動かそう!
頑張って身体と心を外に出そう!
スポーツが出来るようになったら
まず第一に ゼロに戻ってしまった 大腿四頭筋と
腰痛防止の腹筋も手術前のレベルまで戻して
そうだ、エアロビクスも復活してみよう!
頑張れなくなったら
この日記を読み返そう。
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10月6日 火曜日
CT検査
朝から頭痛。
やばいな、速く薬飲んでしまわないと酷くなるぅ
でも、検査前に薬を飲んでいいのか否か分からないので我慢。
果たして やはり検査後より頭痛酷くなり、吐き気も催してきた ウエェェ
お世話になるT大学病院、院内全体がいつも寒い~
しかも いつも検査のため食事を摂らずに行くのでとても寒い~
片頭痛の薬をようやく飲むが もう、ここまで酷くなっては絶対効かない。
2~3時間 ここで眠れれば治るかもしれぬと
少し暖かいような通路を見つけて 長椅子に横になる。
すぐ脇の(院内にある)スターバックスから無情に漂うコーヒーの香り。
今はこのコーヒーの香りさえ吐き気の元なんだけど
場所の移動さえも辛いぃぃぃ
ああぁぁ 正常だったら今ごろ、まずいスタバのサンドイッチでさえ
美味しいと がっついて食べてたはずなのにぃぃ オエェェェ
(私はスタバのサンドイッチ、美味しい思いしたことなし)
どんどん事態は悪化する一方。
見えるロビーを横切って院外へ電話を掛ける気力もなく
すみません、携帯電話をここで使わせてください。
携帯電話の有難味を改めて感じる。
「頭痛が出たので ちょっと休んでいくので 帰宅遅れる」
と、家族に電話をすると
ちょうどその日は 我が家の定休日で
母が一人でT大学病院まで来るために
父を教官に車の道順練習をしていた。
「30分で行ける所にいるから 迎えに行くよ~」
ラッキー♪
結局、事態はさらに悪化を増し
一晩中、頭痛は治まらず 水を飲んでも吐く始末。
ああ~ 家族がいてくれて良かったよぅぅ(涙)
片頭痛と胃炎に一緒に襲われた一日でした。
本日のCTでリンパの様子が診断され
その結果で手術の内容も変わるらしい。
CTの結果は14日。
朝から頭痛。
やばいな、速く薬飲んでしまわないと酷くなるぅ
でも、検査前に薬を飲んでいいのか否か分からないので我慢。
果たして やはり検査後より頭痛酷くなり、吐き気も催してきた ウエェェ
お世話になるT大学病院、院内全体がいつも寒い~
しかも いつも検査のため食事を摂らずに行くのでとても寒い~
片頭痛の薬をようやく飲むが もう、ここまで酷くなっては絶対効かない。
2~3時間 ここで眠れれば治るかもしれぬと
少し暖かいような通路を見つけて 長椅子に横になる。
すぐ脇の(院内にある)スターバックスから無情に漂うコーヒーの香り。
今はこのコーヒーの香りさえ吐き気の元なんだけど
場所の移動さえも辛いぃぃぃ
ああぁぁ 正常だったら今ごろ、まずいスタバのサンドイッチでさえ
美味しいと がっついて食べてたはずなのにぃぃ オエェェェ
(私はスタバのサンドイッチ、美味しい思いしたことなし)
どんどん事態は悪化する一方。
見えるロビーを横切って院外へ電話を掛ける気力もなく
すみません、携帯電話をここで使わせてください。
携帯電話の有難味を改めて感じる。
「頭痛が出たので ちょっと休んでいくので 帰宅遅れる」
と、家族に電話をすると
ちょうどその日は 我が家の定休日で
母が一人でT大学病院まで来るために
父を教官に車の道順練習をしていた。
「30分で行ける所にいるから 迎えに行くよ~」
ラッキー♪
結局、事態はさらに悪化を増し
一晩中、頭痛は治まらず 水を飲んでも吐く始末。
ああ~ 家族がいてくれて良かったよぅぅ(涙)
片頭痛と胃炎に一緒に襲われた一日でした。
本日のCTでリンパの様子が診断され
その結果で手術の内容も変わるらしい。
CTの結果は14日。
10月5日 月曜日
10月4日(日)の毎日新聞 女性読者投稿欄「女の気持ち」を転記します。
*****
小春日和
今が人生の小春日和なのだろうか、この頃しきりに思う。
40代半ばで乳ガンが見つかり、両方の乳房を失った。
辛い経験だったからこそ、その後の10年を興奮状態で駆け抜けた。
食べるための原稿を書く一方で、「いつ再発して死ぬかもしれない。
今、書いておかなければ」という思いに駆られて本も何冊か書きあげた。
そして10年。私はまだ50代の半ばだったのに、横になっては
「老いる」ということはこういうこなのか、こうして死んでいくのか、
などと感じ、海の底から海面を眺めているような気分で過ごす時間が
増えて言った。
医師には軽度のうつ病と診断され、「疲れているから頭を
休めるように」と言われた。はて、どうしたものかと思っていた時
「がん克服日米合同富士登山」という新聞記事を目にした。
頭がダメなら体を動かせばいいんじゃないか。
そう思ってすぐに申し込んだ。
富士登山の前に1年間の訓練登山が合った。初めは黙ってリーダーの
後をついて行くだけだったが、富士山に上れた頃には、少しずつ
周りの景色も見えるようになっていた。あれから10年になる。
今もたくさんの仲間に助けられて山登りは続けている。
ここ1、2年は気がつくと穏やかな気分で鼻歌などを歌いながら暮らしている。
小春日和、それは確実にやってくる厳しい冬を予感しながら、
ふと息をつけるひと時なのではないかと感じている。
*****
昨日の今日でのタイミングでのこの記事と
本日掲載のアグネス・チャンさんのガンを含めた闘病の記事と
私の心に猛烈な勢いで沁み込んだ。
私もまずは手術を乗り越えよう。
そして、更年期障害を戦おう。
再発の恐怖に怯えないように 心を強くしよう。
その暁に再び来るであろう厳しい冬の寒さから
少しでも自己防衛できるように頑張ろう。
この記事の 何が一番励みになったかというと
ガンを患っても長い時間ずっと頑張っていらっしゃるということ。
実は私、がんを患って10年経って 再発しなかった方に会ったことが無いのです。
だから、チラッと読み始めた子宮ガン患者の闘病記も怖くて読めず。
何度のガンをも乗り越えて現在活動頑張ってらっしゃる鳥越俊太郎さんの
闘病記なども読めません。
頑張ってもその先にまたガンが待っているのかなんで
弱虫な感情がふと頭に浮かんで怖いのです。
手術して抗癌剤や放射線治療してるけど やっぱり駄目だとか
何度も何度もガンに襲われるとか
今の私にはどうしても受け入れられないのです。
そういう方の頑張りを見習わなくちゃと思うものの
再発や治療の苦しみを見たり聞いたりが 今の私にはとっても辛いのです。
正直言ってしまえば 今の自分の前向きな気持ちは
必死の上に成り立っている。
怖い怖いとどこかで叫んでしまいたい。
でも、強がりだって 必死だって 前を向き続ければ
それが本当の姿になるのじゃないか!
ふぅぅ
それにしても
なんて弱虫なんだろう。。。
初期で見つけてもらえたガンなのに
よかった と思える気持より
転移と再発に怯えてしまったりする。
いいんだいいんだ
これが修行じゃないか~
少しずつ 気持ちを強くしていけばいいんだね。そうだね。
*****
小春日和
今が人生の小春日和なのだろうか、この頃しきりに思う。
40代半ばで乳ガンが見つかり、両方の乳房を失った。
辛い経験だったからこそ、その後の10年を興奮状態で駆け抜けた。
食べるための原稿を書く一方で、「いつ再発して死ぬかもしれない。
今、書いておかなければ」という思いに駆られて本も何冊か書きあげた。
そして10年。私はまだ50代の半ばだったのに、横になっては
「老いる」ということはこういうこなのか、こうして死んでいくのか、
などと感じ、海の底から海面を眺めているような気分で過ごす時間が
増えて言った。
医師には軽度のうつ病と診断され、「疲れているから頭を
休めるように」と言われた。はて、どうしたものかと思っていた時
「がん克服日米合同富士登山」という新聞記事を目にした。
頭がダメなら体を動かせばいいんじゃないか。
そう思ってすぐに申し込んだ。
富士登山の前に1年間の訓練登山が合った。初めは黙ってリーダーの
後をついて行くだけだったが、富士山に上れた頃には、少しずつ
周りの景色も見えるようになっていた。あれから10年になる。
今もたくさんの仲間に助けられて山登りは続けている。
ここ1、2年は気がつくと穏やかな気分で鼻歌などを歌いながら暮らしている。
小春日和、それは確実にやってくる厳しい冬を予感しながら、
ふと息をつけるひと時なのではないかと感じている。
*****
昨日の今日でのタイミングでのこの記事と
本日掲載のアグネス・チャンさんのガンを含めた闘病の記事と
私の心に猛烈な勢いで沁み込んだ。
私もまずは手術を乗り越えよう。
そして、更年期障害を戦おう。
再発の恐怖に怯えないように 心を強くしよう。
その暁に再び来るであろう厳しい冬の寒さから
少しでも自己防衛できるように頑張ろう。
この記事の 何が一番励みになったかというと
ガンを患っても長い時間ずっと頑張っていらっしゃるということ。
実は私、がんを患って10年経って 再発しなかった方に会ったことが無いのです。
だから、チラッと読み始めた子宮ガン患者の闘病記も怖くて読めず。
何度のガンをも乗り越えて現在活動頑張ってらっしゃる鳥越俊太郎さんの
闘病記なども読めません。
頑張ってもその先にまたガンが待っているのかなんで
弱虫な感情がふと頭に浮かんで怖いのです。
手術して抗癌剤や放射線治療してるけど やっぱり駄目だとか
何度も何度もガンに襲われるとか
今の私にはどうしても受け入れられないのです。
そういう方の頑張りを見習わなくちゃと思うものの
再発や治療の苦しみを見たり聞いたりが 今の私にはとっても辛いのです。
正直言ってしまえば 今の自分の前向きな気持ちは
必死の上に成り立っている。
怖い怖いとどこかで叫んでしまいたい。
でも、強がりだって 必死だって 前を向き続ければ
それが本当の姿になるのじゃないか!
ふぅぅ
それにしても
なんて弱虫なんだろう。。。
初期で見つけてもらえたガンなのに
よかった と思える気持より
転移と再発に怯えてしまったりする。
いいんだいいんだ
これが修行じゃないか~
少しずつ 気持ちを強くしていけばいいんだね。そうだね。
10月3日 土曜日
天気の悪い日が続く。
天気に大きく影響される私の心持は このところ毎日最悪。
どうして
こう 気持ちが揺れるのだろう。
身体を動かしてみても 楽しい曲を聞いても
その時は よし! って力が湧くのに・・・
しょうがないんだ ストレスは当たり前なんだと
自分で自分を慰めてみても なぜか心もどんよりと曇ったまま。
だからと言って 暗い態度は絶対にしない。
昼間の私に会った人は こんな心の葛藤を絶対気がつかない。
だって、先日一緒に泣いてくれた叔母が 告知された後の私に
何回も会っていたけど 全然分からなかったと絶句してたからね。
メソメソと自分を落とし込みたくない。
それは絶対にイヤ!
そこまで負けたくない!
でも、この気持ちを どこでどう消化すればいいのだろう
誰かに吐きだしてみても 聞いてくれる優しい人に
ただただ黒い墨を吹き付けるだけで お互いに苦しみが増えるだけ
自分から モヤモヤを誰かに吐き出すなんて出来ない
そんな気持ちが強く働く。
誰にも言えない。
これまで「もし自分が苦しい病に罹ったら」と思ってみることは幾度かあった。
でも、本当に自分がその立場に置かれてみると
心の病みも闇も想像以上なものなのだな。
ご飯が砂を噛むよう な経験はしてきたけど
無理やり飲み込んだ御飯が戻ってきたり 目覚めに嘔吐したり
そんな事は初めての経験だ。
初期じゃないか!初期なんだからダイジョブなんだから!
癌を乗り越えて来た方々は
どう頑張ってきたのだろう。
と、がん闘病のブログを何軒か回って見た。
治療の苦しさを訴えられていて 読んでいて余計辛くなった。
やはり、早期でも卵巣を取ってしまうのだから更年期障害が酷く
癌は無くてもその戦いで辛いらしい。
今私は健康です。
そっちこっち痛いところはあるけれど、肉体的にも精神的にも健康です。
でも、手術を終えた時から 更年期障害とガン再発の恐怖との
長い長い戦いが始まるのです。
そんな事を 感じてしまったら もう、涙が止まらなくなってしまった。
これがガンに罹るってことなんだ。
もう、今の私の身体の状態に戻れることはないんだ。
張り詰めていた気持ちが一気に崩れた。
しょうがないので 我慢しないで泣くことにした。
涙は心の汗だよ。
沢山涙した翌日は久しぶりに太陽がちょこっと顔を出した。
ああ、久しぶりの太陽で 気分に力がつけられる。
それなのに どうして涙がまた出るの?
自分でも可笑しいけど 涙腺の線が抜けちゃった感じ。
母に見られてしまった。
母の前で 初めて号泣。
ごめんね 母よ、少し泣かせてください。
「悪い所を取ってしまって。そしたら皆で頑張って行けばいいんだよ。
辛い症状は先生と一緒に取っていけるから心配する事はないんだよ。
一人じゃないんだから 大丈夫だよ」
と背中をさすってもらいました。
ごめんね母よ、そして ありがとう 母よ。
2度目のY教授の診察後 初期であるということが確認でき
いくらか気分が楽になったらしい母ではあるが
やっぱり 精神も身体も病んでしまっている。
母自身で己を一生懸命奮い立たせているのではあるが
どうしてもそれが出来なくて また、出来ない自分を追い込んでいる。
そんな母にしっかりしてとは可愛そうで言えず
頑張れ頑張れは鬱を招きそうで絶対言えない。
出来る限り 母の気分を聞いてあげて 少しでもリラックスできる時間が
増えればいいと 私にはそれしか出来ない。
母が頼りない分 自分がしっかりしなくちゃならないと
奮い立つことが出来ているのかもしれない。
天気に大きく影響される私の心持は このところ毎日最悪。
どうして
こう 気持ちが揺れるのだろう。
身体を動かしてみても 楽しい曲を聞いても
その時は よし! って力が湧くのに・・・
しょうがないんだ ストレスは当たり前なんだと
自分で自分を慰めてみても なぜか心もどんよりと曇ったまま。
だからと言って 暗い態度は絶対にしない。
昼間の私に会った人は こんな心の葛藤を絶対気がつかない。
だって、先日一緒に泣いてくれた叔母が 告知された後の私に
何回も会っていたけど 全然分からなかったと絶句してたからね。
メソメソと自分を落とし込みたくない。
それは絶対にイヤ!
そこまで負けたくない!
でも、この気持ちを どこでどう消化すればいいのだろう
誰かに吐きだしてみても 聞いてくれる優しい人に
ただただ黒い墨を吹き付けるだけで お互いに苦しみが増えるだけ
自分から モヤモヤを誰かに吐き出すなんて出来ない
そんな気持ちが強く働く。
誰にも言えない。
これまで「もし自分が苦しい病に罹ったら」と思ってみることは幾度かあった。
でも、本当に自分がその立場に置かれてみると
心の病みも闇も想像以上なものなのだな。
ご飯が砂を噛むよう な経験はしてきたけど
無理やり飲み込んだ御飯が戻ってきたり 目覚めに嘔吐したり
そんな事は初めての経験だ。
初期じゃないか!初期なんだからダイジョブなんだから!
癌を乗り越えて来た方々は
どう頑張ってきたのだろう。
と、がん闘病のブログを何軒か回って見た。
治療の苦しさを訴えられていて 読んでいて余計辛くなった。
やはり、早期でも卵巣を取ってしまうのだから更年期障害が酷く
癌は無くてもその戦いで辛いらしい。
今私は健康です。
そっちこっち痛いところはあるけれど、肉体的にも精神的にも健康です。
でも、手術を終えた時から 更年期障害とガン再発の恐怖との
長い長い戦いが始まるのです。
そんな事を 感じてしまったら もう、涙が止まらなくなってしまった。
これがガンに罹るってことなんだ。
もう、今の私の身体の状態に戻れることはないんだ。
張り詰めていた気持ちが一気に崩れた。
しょうがないので 我慢しないで泣くことにした。
涙は心の汗だよ。
沢山涙した翌日は久しぶりに太陽がちょこっと顔を出した。
ああ、久しぶりの太陽で 気分に力がつけられる。
それなのに どうして涙がまた出るの?
自分でも可笑しいけど 涙腺の線が抜けちゃった感じ。
母に見られてしまった。
母の前で 初めて号泣。
ごめんね 母よ、少し泣かせてください。
「悪い所を取ってしまって。そしたら皆で頑張って行けばいいんだよ。
辛い症状は先生と一緒に取っていけるから心配する事はないんだよ。
一人じゃないんだから 大丈夫だよ」
と背中をさすってもらいました。
ごめんね母よ、そして ありがとう 母よ。
2度目のY教授の診察後 初期であるということが確認でき
いくらか気分が楽になったらしい母ではあるが
やっぱり 精神も身体も病んでしまっている。
母自身で己を一生懸命奮い立たせているのではあるが
どうしてもそれが出来なくて また、出来ない自分を追い込んでいる。
そんな母にしっかりしてとは可愛そうで言えず
頑張れ頑張れは鬱を招きそうで絶対言えない。
出来る限り 母の気分を聞いてあげて 少しでもリラックスできる時間が
増えればいいと 私にはそれしか出来ない。
母が頼りない分 自分がしっかりしなくちゃならないと
奮い立つことが出来ているのかもしれない。
9月30日 水曜日
母方の叔父夫婦がすぐ近所にいる。
母が日中在宅の叔母に報告をしてきたので
話がよく伝わらず 無駄な心配をしていては申し訳ないと思い
私も叔母に話を聞いてもらいに出かけた。
「大丈夫?大丈夫?」って言ってくれて
誰にも不安を言えずにいて
不安で心配で怖くてって自分からは言えずにいたから
「大丈夫?そうやって強がらなくていいんだよ」
って、泣いてくれて
初めて人の前で泣いた。
そこでドツボにハマると落ちるので
泣いたと言っても ほんの少しだったけど
でも
凄く心が温かくなった。
自分から ゆれる気分をSOS出せなくて
だから 大丈夫?なんて気遣ってもらえて その優しさに泣けた。
ありがとう もう、大丈夫。
私は大好きな書道の先生にガンで逝かれてしまった。
私がまだ20代の頃で 先生の闘病の辛さも孤独も
受け止めてあげられなかった。
年を重ねるごとに先生の闘病の辛さと孤独の深さを分かるようになり
若かった自分を心底呪う。
今、あの時の先生と同じような年になり 同じような立場になった。
今の私だったら 今の私だったら
辛いと訴えられない気持ちを察してあげられたのに
孤独の深さも 病の辛さも もっとわかってあげられたのに
そう悔やまれて やっぱり健康で若かった自分を呪う。
あの時 応えてあげられなかった分
いま、頑張ろう。
あの時の先生と一緒になって 頑張ろう。
私の病気がガンで良かったと思う。
もしこれが
中度におきた脳卒中で 一生 要介護の寝たきりの生活になってしまったら・・・
私の介護を両親が負わなくてはならなかった。
逆縁より もっともっと地獄に両親を送り込むことになった。
過酷な介護
それが長くなればなるほど 地獄になる。
「生きていてくれるだけで」となんて 思えなくなるほどの地獄。
重度の状態の 長年の介護の過酷な現状は筆舌に尽くしがたい。
その地獄の中で闘っている人が沢山いる。
もちろん、癌と闘っている人も。
私の身に起きてることなんて ゴマ粒程度だね。
母が日中在宅の叔母に報告をしてきたので
話がよく伝わらず 無駄な心配をしていては申し訳ないと思い
私も叔母に話を聞いてもらいに出かけた。
「大丈夫?大丈夫?」って言ってくれて
誰にも不安を言えずにいて
不安で心配で怖くてって自分からは言えずにいたから
「大丈夫?そうやって強がらなくていいんだよ」
って、泣いてくれて
初めて人の前で泣いた。
そこでドツボにハマると落ちるので
泣いたと言っても ほんの少しだったけど
でも
凄く心が温かくなった。
自分から ゆれる気分をSOS出せなくて
だから 大丈夫?なんて気遣ってもらえて その優しさに泣けた。
ありがとう もう、大丈夫。
私は大好きな書道の先生にガンで逝かれてしまった。
私がまだ20代の頃で 先生の闘病の辛さも孤独も
受け止めてあげられなかった。
年を重ねるごとに先生の闘病の辛さと孤独の深さを分かるようになり
若かった自分を心底呪う。
今、あの時の先生と同じような年になり 同じような立場になった。
今の私だったら 今の私だったら
辛いと訴えられない気持ちを察してあげられたのに
孤独の深さも 病の辛さも もっとわかってあげられたのに
そう悔やまれて やっぱり健康で若かった自分を呪う。
あの時 応えてあげられなかった分
いま、頑張ろう。
あの時の先生と一緒になって 頑張ろう。
私の病気がガンで良かったと思う。
もしこれが
中度におきた脳卒中で 一生 要介護の寝たきりの生活になってしまったら・・・
私の介護を両親が負わなくてはならなかった。
逆縁より もっともっと地獄に両親を送り込むことになった。
過酷な介護
それが長くなればなるほど 地獄になる。
「生きていてくれるだけで」となんて 思えなくなるほどの地獄。
重度の状態の 長年の介護の過酷な現状は筆舌に尽くしがたい。
その地獄の中で闘っている人が沢山いる。
もちろん、癌と闘っている人も。
私の身に起きてることなんて ゴマ粒程度だね。
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☆ねこねこ荘・管理人
ようこそ いらっしゃいませ~♪ ブログ、引っ越しながら 16年目突入だニャ~
HN:
ココ
性別:
女性
自己紹介:
私の分身の様な相棒は
いなくなってしまったけど
私にはあいつのシッポが
はえてる!・・・つもり
(*≧m≦*)ププッ
いつも楽しい気持ちに
してくれた相棒の
シッポがいつも一緒
それって
ちょっと素敵でしょ♪
いなくなってしまったけど
私にはあいつのシッポが
はえてる!・・・つもり
(*≧m≦*)ププッ
いつも楽しい気持ちに
してくれた相棒の
シッポがいつも一緒
それって
ちょっと素敵でしょ♪
☆今のニャンコ、どんな寝姿?
☆コメントありがとう♪
鉛筆メモマークは 返信してマスの 合図です。
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