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2531*-55番地 ねこねこ荘

ひみつ基地にアパート建てました!全部屋、日当たり良好♪
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9月28日  月曜日

14日の組織検査と18日のMIR検査結果
再びY教授の診察。
組織検査の結果、間違いなく子宮体ガンであること。
状態は初期であることの報告を受けました。
体ガンのステージはもっと細かく分かれるのでしょうけど
確定出来るのは臓器を取り出して病理検査で詳しく調べた後だそうです。
そのために先生は「初期」という言葉なのだと思います。

子宮全摘は確定ですが 卵巣を取るかとらないか。
私が35才だったら 卵巣を取るかとらないか検討するのですが
10月に45才になる私、女性デーはあと5~6年はあるでしょうが
迷わずに今回、卵巣も全摘するそうです。
なぜならば 今の私のガンステージでも卵巣に転移していることがあり
それは摘出して検査してみないとわからないのだそうです。
更年期障害のリスクよりも 卵巣を残すリスクの方がはるかに大きいのですね。

そのほかの説明を受け 手術の予定日を検討。

リンパの状態を確かめるために10月6日はCT検査です。


一週間前から膀胱炎のような症状になっていました。
私は体調を崩すと トイレが非常に近くなります。
掛かり付けの泌尿器科で漢方薬を処方してくれそれでこのところ快調だったのにぃぃ
掛かり付けの泌尿器科は車で1時間かかり 忙しい毎日で通えず、
でも、パンツをあげると直ぐ強い尿意を模様し 辛くて我慢出来ず
最初にガン検診を受けた(H先生のいる)総合病院の泌尿器科へ行く。
「膀胱炎でもないし、残尿のもんだいもないです。
 オシッコに少し行きたい時点で頻繁にトイレに行っていると
 膀胱がオシッコを溜めておけないようになり 薬も効かなくなりますよ。
 膀胱も筋トレと同じですから、オシッコは我慢してください」
と言われ、トイレが遠のく薬をもらって帰宅。
でも でもでも その薬、全く効かず ぐっすり眠れるまでの間
とにかくトイレに行きたくて行きたくて辛い!!!
お漏らししそうな感覚で一日中 いる訳で。。。辛い辛い!!!

この日、Y教授に「トイレが行きたくて止まらなくて・・・」
と一言漏らしたら
「ん!?」と言って 直ぐに済ませてある血液検査と尿検査の結果を見る。
「大丈夫、尿も綺麗で膀胱炎の所見もないし 血液も綺麗
 あなたの頻尿は神経的なものだよ~
 僕もね、講演の前はトイレに行きたくなるものだよ~」と言ってくださった。
そっか~ 大丈夫なはずだけど 膀胱にストレス行ってたのかぁ~
って、病院を出る頃には なんとトイレに行きたい症状が緩和されてしまったのでした!
「僕もね講演の前にはトイレに行きたくなるものだよ~」
って、そういう何気ない一言の心遣いをしてくださる先生に治療してもらえる
非常にありがたく、感謝。
大学の教授先生なんて高い所から患者を診て 俺に任せておけ、患者はだまっとれ~
てな風なのかと思っていたし、また、婦人科の先生で親切でやさしい先生なんて
先のH先生しか会ったことなかったので驚きと共に安心感に包まれた。
後日、掛かり付けの泌尿器科の病院で漢方をいただき効いている。


私のガンのステージは今のところ 手術の順番待ちをしていられるレベルなんですね。
少し、息がつけた感じ。
これで やっと友達にも報告が出来る。
誰にも言えずに 辛かった。
でも、言ってしまうことの方がもっと辛い気もする。
ハッピーな気持ちをお知らせなら 気持ちも明るくなるけど
こんなお知らせは 辛い気分を分けてしまうことになるから・・・

何でも話す唯一の同級生は
早くに父を亡くし 母を亡くし 一昨年たった一人の弟さんまで亡くしてしまっている。
だから、今私のことを話したら 未婚の彼女はたった一人で悲しくなるのだと
やっぱり すぐに言うことが出来なかった。
電話で報告したのだけれど やっぱり泣かれてしまったよ。
でも、日をおかず様子を見に来てくれて話を聞いてくれて
ほんとうに有難かった。
言葉の慰めでは無くて 差し出してくれる気持ちに
どれほど救われるか。ありがとう。


退院するまで誰にも言わずにいようと一度は決めたものの
やっぱり そこまでの強さもなく
バタアシさんに打ち明けさせてもらう。
若い彼女に第一弾の波(笑)を受け止めてもらった。
T大学繋がりというだけで
とんだとばっちりを受けさせてしまって ほんと、ごめんなさい。
そんでもって、ありがとうね。バタアシさん。
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9月18日  金曜日

MRI検査日
造影剤を入れてのMIR検査
この検査でガンの状態がおおよそ判断される。
私のガンよ イイ写り具合で撮影されてくれよ。

造影剤が注入される点滴針の入った腕を
普通は身体の脇に置くらしいのだが
「お腹の腕も大丈夫ね」とお腹の上に腕を置いた体勢で
ガンガンゴゴゴゴマシーンの中に
(MRIは工事現場の中に置かれたような激しい音が出る)
「では 造影剤を入れま~す。瞬間腕が冷たくなりま~す」
と言われた後 腕が冷たくなるではなく 瞬間、腕が破裂するような痛み。
なんだよぅぅ 冷たくじゃなくて痛いだようぅぅ~
ま、一瞬だったので ビクッとはしたが 撮影終了。
腕、冷たくならずに破裂するような痛みがありましたと報告したら
「えっ!? 造影剤は異常なく入って行ったことを確認していましたので
 大丈夫ですが、腕の位置がやっぱり行けなかったようです」
ですって。 いくらかの腕の曲がり具合でも反応しちゃったのね。

検査結果は9月28日になる。



母が相当参ってしまっている。
精神的にも 胃にも・・・
私に出来る限りの心のケアーを試みているが
どうしたら 母の心配を軽減してあげられるのか・・・
今、ガンが消滅してしまうしか最善策はないのだけどね。

私はここに気持ちをとどめて苦しむよりも
前へ前へと進みたい。
不安と恐怖のパワーを 前進のためのパワーに変えて頑張って行きたい。
病は気からと言われるとおり 後ろ向きな心ではいけないパワーを呼び込んで
更に事態を悪化させるだけで よくないことが増える事はあっても好転はしない。
だから、母にも私の気持ちを汲んでくださいとお願いしました。

分かっているのです。
今までずっとお互いを見て来た親子だから。
お互いの気持ちは手に取るように。
でも、分かっていてもどうしてもどうしても 肝っ玉になれない母なのです。
私より 母の方が病人状態なんですよ。
不眠、胃痛から抜け出せずに毎日います。
私に励まされ、私に心配させまいと毎日必死です。

自分のことより、母の気持ちがどこまで続くかが心配です。
入院中の家事一切とラムネの一切を母一人でこなさねばならず
体力的にも問題ありの母ですので 猛烈不安であります。





9月14日  月曜日

T大学病院Y教授診察日
超痛いはずの診察が Y教授の職人技の手さばきで
ビックリするほどの痛みの少なさで終了する ふぃぃ~♪
激痛の検査は局部麻酔が施された ふぃぃぃ~~♪

現時点で判断できるガンのレベルは初期のもの。

この日の組織検査の結果と後日のMRI検査の結果で
更にガンの進行状況が判断される。

「大丈夫、死ぬことはないですよ」
と、Y教授の力強い一言に安ど感に包まれた。

Y教授、物凄いオーラが発散されていた。
強くて優しく安心感に包まれる素敵なオーラ。
ああ、この先生だったら安心して全てを任せられます。
もちろん、実に的確な病状の説明とこれからの治療方法、方針の
納得のいく丁寧で分かり易い説明があっての上で。


私は毎月の月の日(オブラート表現してみました)が10日間ある。
毎年のガン検診の時にその期間を指摘されることもなかったので
それで良しと思ってきた。
更に、30代前半までつけていた基礎体温、
アバウトなグラフの形にしかならず
「もしかして私って 排卵無いのかな?」と思う程度で過ごしてきてしまった。
Y教授曰く
「月の日10間は異常。あなたは排卵無い人ですね。
 子どもを持とうとしていたなら
 子どもがひじょ~に出来にくく 不妊治療がたいへんだったね。」
そうか、私、結婚していたら不妊治療で痛かったのか・・・
結婚していたとしても 現在の未婚でも
「痛い」は避けて通れない人生なんだな。
なんて、来るべき手術後の激痛に妙な諦めがついたりなんかして・・・
ガンもショックだけど
子供が出来にくい体だったということが ジワリと心に来た。
心の池に黒ののインクがポトリと落ちてジワリと広がるように

人間が持って生まれた器官は全て働きを全うさせなくてはいけないのだと
シミジミと感じた。(ガン検診にも影響していることですが内容は省略)
どういうことか
排卵のない人は体ガンになり易いそうです。
結婚し、子供を望む、なかなか授からない場合病院の門を叩く。
そして排卵が無いことを知り、治療に当たる。
私のように、パートナーもいない、結婚もしていないとその機会を逃す。
だから、リスクが高まってしまうということ。


さて、H先生のガン告知を受けてから Y教授の診察までの5日間は
どう表現したらいいのかな・・・
自分のガンのレベルが全く分からない不安 恐怖 
辛かった。

日中は日差しに励まされ 仕事で現実逃避が可能。
ただ、妙にハイテンションで心臓は常にバクバク。
夜が恐怖だった。夜がこれほど怖かったのは初めてだった。
もちろん眠れない。
此処にある身体が自分のものでないようで
5時頃にやっとトロトロと浅い眠りに入れたかなと感じると
強い吐き気で目が覚める。
異次元から身体が戻るような 異次元に身体を引き戻されるような
悪夢から覚めたのか? 悪夢の中か? 
言葉では言い表せない気持ち悪い気分に再び吐き気を催し
その吐き気に これは現実だと思い知らされる。


自分を支えていたもの。
両親とラムネ。

ラムネはもともと胃腸が弱くて 
膀胱炎もやってるし 初期の腎臓病にも突入したし
飼い主がいなくなるなるなんて、渋谷のハチ公にしてしまうわけには
絶対ならない!

母親は告知の瞬間から 普通ではいられなくなって
もともと 強い人ではないから・・・

私がここでくじけてしまったら 両親は(特に母親)どうなってしまうだろう!
ガンの恐怖もさることながら
両親の気持ちを思うと 奮い立つしか他に方法が無い。

進行してしまった場合も考えてしまいました。
H先生に「考えないように」と送り出されたのにね・・・

いっそ死ねてしまえた方が楽とさえ思ってしまうような
過酷で壮絶な抗癌剤&放射線治療になったなら
最後の最後の最後まで弱音を吐かずに頑張らなくてはと自分に言い聞かせました。
逆縁。 そんな親不幸をする私に出来る償いは
どんなに壮絶で過酷な治療でも頑張ることしかないと思うから。
もしも命が絶えた時 あの過酷さから解放されて楽になれたんだからと
そういう諦めの方法が少しでも両親の心のどこかに持ってもらえたら
子供に先に逝かれた親がその後長く苦しい時間を過ごす中で
ほんのほんの少しでも 束の間束の間でも 苦しさが紛れるだろうかと。

残される者の辛さというのは 自分の命が絶えるまで続く。
たとえその時々の自分が その人に精一杯接してきたとしても
想いは悔やみばかりになる。
悲しみは時間が過ぎれば 切り裂かれる痛みがいえるだけで
その深さは変わらなく続く。
そんな 思いを させることだけは絶対にイヤダ!



9月9日  水曜日

整骨院への通院と筋トレとストレッチのお陰か 
歩けない程ひどい腰痛が歩けるようになり
夜中のトイレや起床時に立ちあがれないほどだった状態も改善されつつあるが
未だ長引いている腰痛。
しかも膝の状態も最悪だし。。。
近所の藪医者の藪診断はやっぱり信用ならない。
(膝はMRIまで撮ったのに状態を判断出来ず
 腰に至っては「全く問題ない」と診断されたデスよ。)
膝の手術をしてもらった先生に診てもらう。
今日は以前のように「筋トレが足りない!」の一言で済まされず
非常に詳しく膝腰の状態の説明とこれからの予防トレーニング指導された。

腰は持っている椎間板ヘルニアが悪化していた。
ど~りで今までに無かった痛みが長引いたわけだ・・・
筋トレとストレッチでカバー出来るという。ヤレヤレ。

膝は・・・
私の膝は「ユルイ」そうですよ。
それから 膝が反らない方向に反り過ぎてイケナイということ。

皆さんの普通時の膝が茶色の線だとすると
私のは自然に緑の線まで反ってしまいます。





この生まれつきの膝の緩さと半月板が無いのとで痛みが出るわけですが
コレを筋力でカバーするとなると 今付いている筋力では全く役に立ちません。
競輪選手なみの筋力をもってすれば痛みをカバーできるようです。

背骨のくっついちゃった己のレントゲンを見てガッカリ。
競輪選手の筋力か~とゲッソリ。
コツコツ積み重ねていくしかないな。


整形外科から帰宅すると
「S病院の産婦人科のH先生から電話があった」そうだ。
先日 出来ていたポリープが無くなっていた という話をしましたね。
あの時のS病院の産婦人科のH先生からです。
要件は何だろうと 考えました。
子宮体ガンの検査結果がまだ連絡来ていなかったな。
直接 先生から電話が来るということは いい結果ではないってことよね。

再度H先生よりの電話を受ける
H先生 「先日 受けていただいた体ガン検診のことなのですが・・・」
私   「ガン、ってことですね」
H先生 「まぁ、そういうことなのですが 詳しい事は直接お話ししたいのですが」


そうか、私 癌なのか。
仕事中だったので 平常心でいられたのだろうな。
でも、文字を描く手の震えは止まらない。
あれ?この震えは何?心臓ドキドキなんてしてないのに!

病院からの電話の件を心配していた両親も
その場で私から告知になってしまった。

眠れなかった。
でも涙は出なかった。
そうか、だから夕べあんなに心が悲しくなったんだ。
なんて、妙な納得をして
でも夕べ心が裂けそうだったから 今夜は心を裂かないですんだのかもしれない。

と、いうことで翌日S病院へ。

子宮体ガン 細胞検査の結果 クラスⅤ

H先生 「今の段階では 楽天的な事も いけないことも言えません。
     だから、組織検査ではっきりとしたことがわかるまでは
     余計な事は 考えないようにしてね」

希望の病院があるかどうかをH先生に尋ねられたのですが
昨日の今日ではまるきり分からず 自分で病院を探すとしても全く見当もつかず
先生にその旨を伝えると
「僕は最近T大学病院から来たばかりなんだけど
 T大学婦人科のY先生はガンを詳しくやってるし
 Y先生なら安心ですよ、実績もあります。」
と、T大学病院の紹介状を頂くことになった。

私は頸ガン検診でさえかなりの痛みを伴う。
その痛みの訳を丁寧に説明してくれて 
しかも検査の器具のサイズダウンをしてくれるという処置までしてくれた
親切で思いやりのある対応をしてくれた産婦人科の先生というのは
この近所の総合病院のH先生が初めてだった。
もし、ポリープの診察時にH先生が体ガンの検診をしてくださらなかったら
最短でも来年の8月までは(この8月に頸ガン検診をしたばかり)ガン検診を受けなかった。
そして、体ガン検診に至っては
30代までは毎年受けていたが
「体ガン検診はそれほどこまめに必要ないですよ」と以前言われたこともあり
本当に必要な40代になってから痛いのが辛くて受けていなかった!
H先生が「体ガン検査をやらせてください」と検診してくれなかったら
癌は見つけられなかった。
ありがとうを伝えたら
「あの時、もしポリープがあったなら ポリープからの出血と判断して
 処置をして検査はしなかったかもしれないですよ。
 2週間前に頸ガン検診していらっしゃったし」
と、控え目な答えをしてくださった。

H先生の励ましを受けて診察室を出る時も
椅子に突っかかってヨタついて
待合室で涙がこぼれて 
でも、なんだか妙に頭は冴え冴えとして

「困ったな」って思いがたくさん。
私がしっかりしなくちゃ
私がしっかりしなくちゃ 両親はもっと地獄の辛さになる。







9月8日 火曜日

30代の半ば 辛いことがあった。
大好きな人を亡くした辛さや怪我で得ることになった辛さとか
はたまた失恋の辛さでもなく 
誰にも誰にも打ち明けられず 先の見えない深い悩み。
考えても考えても道は開けず
考えれば考えるほど苦しさが増すばかり。
今考えると鬱状態にもなっていたな。
底なしの闇に包まれて囚われて
あがくことさえも出来ずに 闇の中にいた。
3年も時間が過ぎていた。
事態は好転しその闇から抜け出すことが出来たのだけど
その長い長い闇から抜け出せて 失った長い時間を惜しんだ時
「自分の心を救えるのは 自分自身」ということを学んだ。

あれから 自分自身を底なし沼に落とすことだけはしなくなった。
その場所に留まってシメシメと思い悩むのは
自分自身をいじめるだけであって 
自分自身にさらに辛さを課すだけだと学んだ。


**********


「死ぬ気になれば 何でも出来る」
よく人は言うけれど そうかな? この頃の私は そう思えない。

大好きな大好きな書道の先生を癌で亡くしている。
来店していただくのが本当にうれしく楽しみだった常連さんも癌で亡くしている。
彼女も彼も生きるために壮絶な戦いをして
その壮絶な戦いに負けない強い生き方を私に見せてくれた。
死ぬ気になって頑張る というのとは ちょっと違う気がするんだ。
その戦いは 死ぬことよりも もっともっと辛くて もっともっと厳しい。
静かに命が燃え尽きてしまった方が どれほど楽か分からないような壮絶な戦い。

人は死ねるために 生きて戦う


**********


6月7月と腰痛が酷かった。
靭帯を切って 半月板を失くした膝は 動かすたびに痛みを伴う。
ジリジリと辛い筋トレは毎日欠かせない。
いつ来るか分からぬ網膜裂孔の不安。
辛くてもリハビリ頑張れば救いはあるし
頑張った大切な人達から比べたら米粒ほどのことだけど
日々の痛みは心を弱くする。
もっと 辛い人は頑張っているのに。

そう、世の中にはもっと大きな痛みと闘わざるを得ない人たちが沢山いらっしゃる。

生きていくことは 死ぬことよりも 苦しいこと。

生きていくということを
頑張る人々を見るにつけ 深く思ってきた
若いころから 今も。




自分を底なし沼に落とさない術を学んだはずなのに
なぜか この夜は 辛かった。
心がどうしようもなく辛かった。
何年かぶりに 泣いた。
泣いた。
独りになった。

独りになって 独りを知って 
独りでも強くなろうと思った。
自分を守るために。




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☆ねこねこ荘・管理人

ようこそ              いらっしゃいませ~♪                   ブログ、引っ越しながら       16年目突入だニャ~
HN:
ココ
性別:
女性
自己紹介:
私の分身の様な相棒は
いなくなってしまったけど
私にはあいつのシッポが
はえてる!・・・つもり
(*≧m≦*)ププッ
いつも楽しい気持ちに
してくれた相棒の
シッポがいつも一緒
それって
ちょっと素敵でしょ♪

☆55号室

管理人の秘密の小部屋   ( ´艸`)ムププ 覗いてみてね♪   パスワードは「相棒の名前」をローマ字で      ↓↓↓

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